Part 03:サウス・オブ・マーケット通りの創業者たち
サンフランシスコのマーケット通りから一本南に入ると、SoMa(サウス・オブ・マーケット)と呼ばれる地区が広がっています。古い倉庫や印刷工場の跡地にガラス張りのオフィスビルが混在するこの街区が、いま世界のAI開発の震源地になっています。「Cerebral Valley(脳の谷)」という通称が定着したこの一帯から、評価額100億ドル超のスタートアップが次々に生まれています。創業者たちは何者で、どこから来たのか。資金集中の現場を歩きます。
OpenAI出身者が描く「もうひとつのAI」
SoMaに集まるAI創業者には、明確な出自の偏りがあります。中心にいるのは、OpenAIを離れた元幹部たちです。2024年6月にOpenAIの共同創業者イリヤ・サツキヴァーが立ち上げたSafe Superintelligence(SSI)は、設立からわずか10か月で評価額320億ドルに達しました。累計調達額は約30億ドル。従業員は約20名、売上はゼロ。製品もまだ公開していません。同社が掲げるのは「安全な超知能の構築」という一点で、サツキヴァーの頭脳そのものに300億ドルの値段がついた形です。2025年4月にはGoogle Cloudとの提携でTPU(テンソル処理装置)の供給も確保しました。投資家の1社であるSequoia Capitalのパートナーは「イリヤがやると言えば、何であれ張る」と公言しています。
もうひとり、OpenAIの元CTO(最高技術責任者)ミラ・ムラティが2025年2月に設立したThinking Machines Labも注目を集めています。シードラウンドで20億ドルを調達し、評価額は120億ドル。Andreessen Horowitz、NVIDIA、AMDが出資者に名を連ねます。同社の最初の製品「Tinker」は、大規模モデルのカスタマイズを従来のファインチューニングより大幅に簡素化するツールです。2025年11月時点では500億ドル規模の追加調達が交渉段階にあるとBloombergが報じました。2026年3月にはNVIDIAとの戦略提携で1ギガワット規模のVera Rubin計算基盤の確保も発表されています。SSIとThinking Machinesの合計評価額だけで440億ドル。OpenAIから分岐した2社が、OpenAI自身の競合として急成長している構図です。
OpenAIだけではありません。Google Brain出身のリオン・ジョーンズ、伊藤錬、デイビッド・ハが東京で設立したSakana AIは、2025年11月のシリーズBで約135億円を調達し、評価額26.5億ドルに成長しました。三菱UFJ、Khosla Ventures、Lux Capitalなどが出資しています。DeepMind出身者からはCharacter.AI(対話型AIキャラクター)やWayve(自動運転)が生まれ、AI業界には「OpenAIマフィア」「Googleマフィア」「DeepMindマフィア」と呼ばれる人脈の系譜が形成されています。PayPalマフィアがテック業界の人脈地図を書き換えたように、AI業界では「どの研究所にいたか」が創業者のパスポートになっています。
図1:SoMa発AI主要スタートアップの評価額と調達額(2026年4月時点)
コーディングAIで急成長した若き創業者たち
SoMaの創業者像は元幹部だけではありません。Cognition AIのスコット・ウー、スティーヴン・ハオ、ウォルデン・ヤンは、いずれも国際数学オリンピックの金メダリストです。彼らが開発した「Devin」は、自律型AIソフトウェアエンジニアとして2024年に大きな話題になりました。2024年9月時点でARR(年間経常収益)100万ドルだったDevinは、2025年6月には7,300万ドルまで急伸。同年7月にはコードエディタのWindsurfを買収し、統合後のARRは推定1.5億ドル規模に達しています。2025年9月には4億ドルを調達、評価額は102億ドル。Goldman Sachs、Cisco、Palantirが顧客に並びます。ARRが100万ドルから1.5億ドルに成長するまで、わずか10か月。この成長速度は、SaaS史上でも異例中の異例です。
検索の概念を変えたPerplexity AIも見逃せません。元OpenAIリサーチャーのアラヴィンド・スリニヴァスが率いるこの「AI回答エンジン」は、2025年9月に評価額200億ドルを突破しました。2026年初頭の最新ラウンドでは212億ドル。月間アクティブユーザーは1億人を超え、2026年4月時点のARRも推定5億ドル規模に成長しています。2026年1月にはMicrosoft Azureとの7.5億ドルの3年契約を締結し、GPU計算基盤を固めました。広告収入に依存しない検索という新しいビジネスモデルへの期待が、この評価額を支えています。
Y Combinator——選ばれる確率0.6%の登竜門
これらのユニコーンとは別に、AIスタートアップの「苗床」として機能しているのがY Combinator(YC)です。2025年夏のバッチでは、採択企業のうちAI関連が60%以上を占め、AI-nativeに限定すれば88%に達しました。2024年時点の40%から急増しています。一方で、応募者数の増加により採択率は過去最低の0.6%まで低下しました。2026年冬バッチでは196社を採択し、採択率はおよそ1%に回復しましたが、それでもハーバード大学の入学率(3.2%)より遥かに狭い門です。
YCの3か月間のプログラムで得られるのは、12.5万ドルの初期資金と50万ドルの追加投資権だけではありません。むしろ重要なのは「YCネットワーク」への参加権です。過去の卒業生にはStripe、Airbnb、DoorDashが並び、AI世代ではPerplexity AI(2022年冬バッチ)も含まれます。Demo Dayのプレゼンがそのまま数億ドルのシードラウンドに直結する事例もあり、SoMaの「選別装置」として機能しています。
図2:AI業界の「マフィア」系譜——出身組織別スピンアウト企業(主要企業のみ)
家賃3,500ドル、年収4,000万円——Cerebral Valleyの生活コスト
SoMaのAIエコシステムは、高騰する生活コストと不可分です。サンフランシスコの1ベッドルーム平均家賃は2026年3月時点で約3,500ドル(約53万円)に達し、前年比で約16%上昇しました。AI企業が集中するSoMa・FiDi地区には市内AI企業のアクティブリースの74%が集まっており、物件争いはさらに過熱しています。AI専用の賃貸物件も登場し、Cerebral Valley地区の家賃は一般のSoMa相場をさらに上回っています。AI専用コワーキングスペース「House of AI」は、SoMaの中心部にSF最大級のAI特化型施設を構え、AI起業家コミュニティの物理的なハブとなっています。
この家賃水準を支えているのは、AI人材の報酬です。AI関連エンジニアのサンフランシスコにおける平均基本給は約21万ドルですが、ストックオプションやボーナスを含めた総報酬では40万〜90万ドル以上に跳ね上がります。大手AI企業の主任研究者クラスなら年収100万ドル超も珍しくありません。この報酬が海外からの人材を引き寄せ、H-1Bビザの競争も激化しています。2025年の制度改正で高額給与者を優先する抽選方式が導入され、雇用主側の申請コストも増加しました。それでもAI企業はビザ費用を負担し続け、EB-1(卓越能力者)やEB-2 NIW(国益免除)を活用する高度人材も増えています。SoMaのAIコミュニティは、多国籍化が加速しています。
「次のOpenAI」はどこから出るか
SoMaの創業者たちに共通するのは、巨大AI企業で最前線にいた経験と、そこで感じた限界や不満を原動力にしている点です。サツキヴァーは安全性への懸念からOpenAIを離れ、ムラティは研究から実装まで自分で統括するビジョンでThinking Machinesを立ち上げました。Cognitionのウーはプログラマーの生産性を10倍にすることにフォーカスし、Perplexityのスリニヴァスは検索の再発明を旗印にしています。
ただし、構造的な偏りも見過ごせません。VC資金のうち女性が率いるチームに渡る割合は全体の2%未満にとどまり、AI分野ではその比率がさらに低いとされています。創業者の出身校もスタンフォード、MIT、カーネギーメロンなどに集中しており、人材の同質性は、イノベーションの多様性という面で懸念材料です。
SSI、Thinking Machines、Cognition、Perplexityのいずれも、設立から2年以内に評価額100億ドルを超えました。次の「OpenAI級」の企業がSoMaから生まれるかどうかは、技術力だけでなく、資金調達と人材獲得の両面で勝ち残れるかにかかっています。次のPart 04では、基盤モデルから応用層まで、AI業界の地図を俯瞰します。
出典・参照
- TechCrunch「OpenAI co-founder Ilya Sutskever's Safe Superintelligence reportedly valued at $32B」(2025年4月)
- Calcalist Tech「Ilya Sutskever's SSI raises $2B at $32B valuation—with no product yet」(2025年4月)
- Bloomberg「Murati's Thinking Machines in Funding Talks at $50 Billion Value」(2025年11月)
- TechCrunch「Mira Murati's Thinking Machines Lab is worth $12B in seed round」(2025年7月)
- TechCrunch「Cognition AI defies turbulence with a $400M raise at $10.2B valuation」(2025年9月)
- TechCrunch「Perplexity reportedly raised $200M at $20B valuation」(2025年9月)
- Sacra「Perplexity revenue, valuation & funding」(2026年4月)
- TechCrunch「Sakana AI raises $135M Series B at a $2.65B valuation」(2025年11月)
- TLDL「YC AI Startups 2026: The Complete Batch Breakdown」(2026年)
- RentCafe「Average Rent in San Francisco, CA: 2026 Rent Prices」(2026年)
- Glassdoor「AI Engineer San Francisco, CA – Average Pay 2026」(2026年)
- CoStar「AI startups continue to drive deals in San Francisco's SoMa district」(2025年)
- Mission Local「AI is pushing S.F. rents higher and higher」(2026年2月)
- CNBC「Mira Murati 2026 CNBC Changemaker」(2026年)
- LinkedIn — Sadia Saifuddin「YC acceptance rate 0.6%」(2025年)

